2018年6月10日日曜日

コミュ障、人間関係について考える

人間関係は各々個人のパワーバランスで機能している。これは、皆さんの経験からも明らかである。少なくとも、人間関係で四苦八苦してきた私はそう信じてる。
忖度という言葉も、スキャンダルの偏向報道も、イジメ・ハラスメントも、
強いものが弱いものへと不条理を理不尽を一方的に押し付けている。
所詮、人間は平等・公平・自由・権利などの言葉を飾り立てていても、猿山の猿とそう変わりはしないのだ。

哲学者ホッブズは、人類は自然状態では万人は万人を敵としてお互いに闘争するものであると述べていたが、自分はその言説に異を立てる。
自然界における人類は、夥しい数の猛獣たちに捕食されうる頭でっかちな猿にしか過ぎないからだ(ひ弱なガリ勉が頭空っぽなヤンキーに敵うだろうか?否)
だから、人類の有利な土俵へ猛獣たちを連れ込むために、その頭の良さを活かして集団を形成するコミュニケーションツールを発明して数々の猛獣達を倒していった。
そうして、人間は原始時代から今に至るまでコミュニケーションを通じて集団、社会を作り上げた。

人間は社会的生物で集団の中で生きることを免れない。
つまり、人間同士の力関係による相互作用からも逃げられない。(絶望)


とはいえ、死ぬ必要はない。(私ですら、生きているんだから)

前述の通り、社会はパワーバランスの中で成り立っている。
そして、必ず、この力関係の中で不利益を押し付けられるものも生まれる

多くのものは力を増強(学業、仕事、スポーツなどの得意分野で結果をだす。筋トレ・美容に力を入れる)、他の者にはない物をより多く手に入れる(高級品、新製品、マイナーな趣味)、もしくは恵まれた話術を駆使して謀略を巡らし気にくわない者を共通の敵に仕立て上げて自分の立場を守る(カラコン付けている女、コスパのいい顔を持っている男に多い!)。
だが、これらができない者も当然いる。
というか、できない/しない/結果を思うように出せないから、力関係の底にいる訳で。

自分自身がそうだから、その事に悩んでいた。
そこから、必死になって考え出したのが、浮遊者(フローター)になること。
三つやそこらのコミュニティの中にいるのではなく、数十ものコミュニティの中に所属して自分の居場所を増やし、自分の世界を拡大する。
そうする事で、人との関係の密度を小さくすることで人間関係のゴタゴタ、人間関係の理不尽の被害を小さくできる。逃げ場所もあることで、精神的余裕も生まれる。


少なくとも、これが自分の考えられる最善の方策です。
この逃げ方は情けないともおもえるけれど、この方法だけにずっとしがみつくつもりはなく
必死に模索して本当の最善を見つけ出します。きっと


追伸|

これでは、仲のいい友人ができないのでは?と思われそうですが、
大丈夫です。どんな人間にも一緒にいてくれる人間はいてくれるのですから


私が証明し続けています。だから、大丈夫です!

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