2018年7月11日水曜日

弱者の生き道



発達障害。高卒。生涯、恋人なし。通勤品の捻出に苦労できる経済状態。
人生の履歴書を書くとなると、ネガティブな文字の羅列になる。
自分の人生は字面にするクソ人生だけれど、人にだけは恵まれてきたお陰か鼻くそ程度の人生の水準にはある。やや嫌な人生。
つまり、人様から憐れみを買えるほどの人生ではないのだ。勿論、人様に憧れを貰える人生でもない。おそらく、スポットライトが当たらないニッチの弱者の部類に入る。

人に話せば、お前みたいな人生ゴメンだ。と笑われ
人に話せば、お前より酷い人生の人もいる。と諭され


それは、実際には自他共にみとめる事実だろう。
でも、それでも、より良く生きたいと思う。(これは死ねない臆病さからくる、消極な選択)



この記事は、鼻くそ人生を、金にしたい/人に役立たせたという思い出書きました。
多分、続き物の体裁で続くと思いますから、よければ、笑いながら安心毛布で身を包んだ心地でお読みください。引き続き。

2018年6月10日日曜日

コミュ障、人間関係について考える

人間関係は各々個人のパワーバランスで機能している。これは、皆さんの経験からも明らかである。少なくとも、人間関係で四苦八苦してきた私はそう信じてる。
忖度という言葉も、スキャンダルの偏向報道も、イジメ・ハラスメントも、
強いものが弱いものへと不条理を理不尽を一方的に押し付けている。
所詮、人間は平等・公平・自由・権利などの言葉を飾り立てていても、猿山の猿とそう変わりはしないのだ。

哲学者ホッブズは、人類は自然状態では万人は万人を敵としてお互いに闘争するものであると述べていたが、自分はその言説に異を立てる。
自然界における人類は、夥しい数の猛獣たちに捕食されうる頭でっかちな猿にしか過ぎないからだ(ひ弱なガリ勉が頭空っぽなヤンキーに敵うだろうか?否)
だから、人類の有利な土俵へ猛獣たちを連れ込むために、その頭の良さを活かして集団を形成するコミュニケーションツールを発明して数々の猛獣達を倒していった。
そうして、人間は原始時代から今に至るまでコミュニケーションを通じて集団、社会を作り上げた。

人間は社会的生物で集団の中で生きることを免れない。
つまり、人間同士の力関係による相互作用からも逃げられない。(絶望)


とはいえ、死ぬ必要はない。(私ですら、生きているんだから)

前述の通り、社会はパワーバランスの中で成り立っている。
そして、必ず、この力関係の中で不利益を押し付けられるものも生まれる

多くのものは力を増強(学業、仕事、スポーツなどの得意分野で結果をだす。筋トレ・美容に力を入れる)、他の者にはない物をより多く手に入れる(高級品、新製品、マイナーな趣味)、もしくは恵まれた話術を駆使して謀略を巡らし気にくわない者を共通の敵に仕立て上げて自分の立場を守る(カラコン付けている女、コスパのいい顔を持っている男に多い!)。
だが、これらができない者も当然いる。
というか、できない/しない/結果を思うように出せないから、力関係の底にいる訳で。

自分自身がそうだから、その事に悩んでいた。
そこから、必死になって考え出したのが、浮遊者(フローター)になること。
三つやそこらのコミュニティの中にいるのではなく、数十ものコミュニティの中に所属して自分の居場所を増やし、自分の世界を拡大する。
そうする事で、人との関係の密度を小さくすることで人間関係のゴタゴタ、人間関係の理不尽の被害を小さくできる。逃げ場所もあることで、精神的余裕も生まれる。


少なくとも、これが自分の考えられる最善の方策です。
この逃げ方は情けないともおもえるけれど、この方法だけにずっとしがみつくつもりはなく
必死に模索して本当の最善を見つけ出します。きっと


追伸|

これでは、仲のいい友人ができないのでは?と思われそうですが、
大丈夫です。どんな人間にも一緒にいてくれる人間はいてくれるのですから


私が証明し続けています。だから、大丈夫です!

2018年4月16日月曜日

SNSを通しての人間関係



今やSNSは毎日のように使われるありふれたものになりましたが、私は未だにSNSを通した人間関係に不慣れなままです。(私の特性を踏まえても)
そこで、考えて思いついたことは、当たり前のことですが、人間は会話するそれぞれの相手と似合った距離というものがあるということです。現実で話し合う時は、話す距離、テンポ、声色、声量、表情、身振り等で、図らずにも距離を合わせてしまうものです。しかし、SNSだと非言語的なコミュニケーションが全て排除されてしまい画一的な距離に置かれてしまう。だからこそ、相手を不愉快にさせたり、自分が不愉快に感じてしまう。


このように、有益なコミュニケーションツールを剥奪されてしまったからには、親しい人でも、慎重に礼儀のある姿勢で向き合うこと以外できることはないでしょう。当たり前の事ですが。。当方、当たり前が足りないものでして。

2017年1月18日水曜日

私はスマホよりタブレットとガラホの組み合わせが便利だと思う。


最早、ラップトップPCと同等の性能を持つようになったスマートフォン。
それと同様に、手に入れられる情報量もラップトップPC並みになる筈だが、情報量は昔のままだ。
なぜなら、スマートフォンの画面サイズは昔と比べても、あまり変化が無いからだ。

ここで、みなさんに質問しますが、文庫本のサイズにも満たない画面サイズで、
莫大で複雑な情報を処理できると思いますか?
私は難しい事だと思います。

ガラケーの流れでスマホを購入している多くの人は、気付くべきだ。
スマートフォンは《小さな電話機》ではなく、《小さなPC》なのだと。

そして、あなたの目的、ライフスタイルに相応しいものなのかを考えるべきだ。


もし、あなたがSNS、ウェブブラウジング、ゲームを主な目的としているのなら、
iPadなどのB5サイズ大のタブレットをお薦めしたい。

そのサイズでの、ブラウジング、ゲーム体験はスマホでの体験を、軽く凌駕する。
もう、スマホには戻れないくらいに…

なかには、通話ができないから仕方なく。スマホを選ぶ人もいるだろう。
そこで、ガラケーだ。
タブレット、ガラケーでの運用であれば、問題はない。
使用料金も大きな違いはない。(詳しくは、ご利用の通信キャリアにお問い合わせください。)
二つのデバイスを持つことに、些か面倒臭さを感じなくはないが、この程度の問題は直ぐに慣れる。
と言うよりは、メリットの方に気づく。ガラケーがあると屋外でのゲーム・SNSをバッテリーを気にせずに十分に楽しめることが可能だからだ。

とは言っても、本当に素晴らしいかどうかを判断するのは、あなた自身です。

本当に、スマホがあなた自身の目的・ライフスタイルに相応しいものなのかを
考えて、より快適な日常を送ることを、私は願います。













沖縄での散歩


沖縄の散歩は、本当に飽きさせない。
新旧、東洋・西洋を問わない全く統一性を持たない建物が並んでいるからだ。
そして、県民性なのか住宅地であっても、管理されない緑の群れが、沖縄らしい風景を作り上げる。



日本の中で、赤道に近い太陽に近い地域であるので、冬でも太陽の陽射しが強く。
ハイコントラストな絵を見せてくれる。

沖縄は面白い!